小下段からのチョイ突き

大上段に構えて書こうとしたら、ちっとも書けないので、ゆる~く書き始めました。

私の散歩道⑯の1~近くにあっても普段通らない道ってありますよね、、、('◇')ゞ

2024年6月1日

 

今回は清水寺付近まで兎も角出来るだけ真っ直ぐに歩いて行くことにしました、、、結果的には少し寄り道もしましたが、、、('◇')ゞ、、、今回のルートも部分的には歩いたことはありますが、通しで歩くのは初めてです。

[http://]

 

出だしはいつも通りの疎水沿い。

兎も角この日の京都は暑かった、、、。最高気温29度ということでしたが、、、。でも比較的湿度が低かったのでまだマシでしたね。(本格的な京都の暑さは本当にたまりませんものね、、、

 

ところで、

近くにあっても普段通らない道ってありますよね。

下図の神楽岡通りというのもそう言った道の一つです。今回初めて歩きました('◇')ゞ

東の白川通りに比べると神楽岡通りかなり高い場所を通っていて(この間の坂はかなりキツイ坂になってますね)、何か一筋違うだけでだいぶんと雰囲気が違います。

この神楽岡道を真っすぐ行くと岡崎通りになります。但し、Google Mapでは何故かこの岡崎通りを真っすぐ歩くルートは案内してくれない('◇')ゞ、、、確かに道幅が急に狭くなるのに対面通行なので、フラフラ歩いていると危ない感じ、、、多分そういう理由なのでしょう、、、なので青い点線ナシ('◇')ゞ('◇')ゞ ↓ ↓ ↓

 

後一条天皇のお墓と陽成天皇のお墓があるのでちょっと覗いて見ました。京都にはあっちこっちにこういった昔の天皇のお墓があるので、別に珍しくは無いのですが、、、。

ちなみに後一条天皇というのは紫式部清少納言の時代の一条天皇の息子ですね、、、今やっているNHK大河ドラマにもその内出て来るかも知れません。

陽成天皇の方はそれより100年くらい前の天皇で、時の摂政である藤原基経と確執があった事で知られています。平安時代ってのは偉い人は自分の娘を天皇に嫁がせて、息子を産ませることによって権力を掌握しようとする、と言うことが、陽成天皇の時も、後一条天皇の時も、その後もずっと行われていたのですね、、、。まあ、平安な時代と言えばそうなのかも知れません、、、、('◇')ゞ

 

真如堂の前を通って、その先金戒光明寺の前を通って行きます、、、どちらも有名なお寺ですが、中には入らず('◇')ゞ

 

真如堂

金戒光明寺

岡崎通りを真っすぐ行くと、この後更に狭くなって、本当の横丁みたいなところに至ります。

 

ここで一旦岡崎通りは途切れるのですが、また少し南で復活しますので、さらに岡崎通りを南下します。

 

ちなみに私の祖父は昔、岡崎通りと丸太町通りが交差する辺りに大きな医院を開いていたのですが、いろいろと事情があってその医院は今は残っていません、、、私は子供の頃東京に住んでいたので、夏休みくらいしか来たことがないですが、、、、そんな幼少期の事を思い出そうとしながら暫しウロウロしました、、、ですが、何も思い出せませんでした、、、('◇')ゞ('◇')ゞ('◇')ゞ

 

岡崎公園の野球場の裏を通って、平安神宮の大鳥居を抜けて更に南下します。

 

 

次回はこの先、神宮道~ねねの道へと歩きます。

世界の車窓から風エンディング('◇')ゞ)

 

つづく。

 

[http://にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村:title]