小下段からのチョイ突き

大上段に構えて書こうとしたら、ちっとも書けないので、ゆる~く書き始めました。

私の散歩道⑯の3~京都にはいろいろと面白い言い伝えが多いです('◇')ゞ

2024年6月1日のつづきのつづき

 

京都霊山護国神社には、木戸孝允の墓もあります。幕末には桂小五郎と名乗って数々の修羅場をくぐり抜け、維新後も生き残り明治の大勲の一人となった人ですから数々の志士の墓の中でも一番高いところにお墓があります。

木戸孝允の墓

でも目の前は樹木に遮られて、龍馬の墓のように眺望は良くなかったですね、、、、、その代わりという訳でも無いですが、↓ ↓ ↓ ↓ は帰りの「維新の道」からの眺めです。

帰りの「維新も道」からの眺め

さて、この後は元の計画に戻って二寧坂~産寧坂を通って清水通りに至ります。

 

 

産寧坂です。

産寧坂

三年坂とも言います。ここで転ぶと三年以内に死ぬ、あるいは三年寿命が縮むという言い伝えがあって、瓢箪を身に着けていると飛び出そうとしている魂を吸い取って元に戻してくれるという、これまた奇妙な言い伝えがあります('◇')ゞ、、なので道端のお店に瓢箪が売ってたりします。

ですが、この先の清水通りを含めて観光客が一杯、、、(;´Д`)、、、なので清水寺方面には行かず、西の方に下りて行くことにしました。まあ「ねねの道」辺りも多かったですが、二寧坂あたりから観光客が急激に増え、、しかも95%以上は外国人、、、。いまや京都はほぼ外国人に占拠されつつあります。

と言うことで外国人が行きそうも無い所に行くことにしました。

 

六道珍皇寺というお寺です。

六道珍皇寺

手前に六道の辻、と言う碑が立っていますが、丁度この辺りが現世とあの世との境だと昔は考えられていたようで、それが六道の辻、という意味だそうです。

そして、このお寺も面白い言い伝えがあります。小野篁平安時代に実際に居た人)が閻魔大王の副官として毎日このお寺にある井戸を通って黄泉の国に行って、閻魔大王の裁きの手伝いをしていたというのです、、、('◇')ゞ

境内には小野篁の像と閻魔大王の像が小屋のなかに鎮座しているのを覗き窓を通してそれぞれ見ることが出来ます。

小野篁

閻魔大王

また篁が使ったとされる冥途通いの井戸も、、、。

冥途通いの井戸

↑ ↑ ↑ この右奥にあるらしいですが、ちょっと見えないですね、、。タダで入れるのはここまで、、、なのでネット上から写真を拝借して来ました。

冥途通いの井戸-Wikipediaから

こういう言い伝えは結構面白いですよね、、、それに京都霊山護国神社とかこの六道珍皇寺とかは流石に外国人観光客の姿はナシ、、、、この散歩道シリーズもその路線(外国人観光客が来ない穴場紹介)の方向にしていこうかしらん、、、🤔

 

さて、だいぶ歩いて歩き疲れましたが、この日はトータル:18,244歩。

歩数以上に疲れたのはやっぱり「維新の道」の坂とその先の墓地の急な階段を登ったからでしょう('◇')ゞ、、、。

ではでは。

 

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