2023年9月24日
今回のスタート地点は賀茂大橋の上から。賀茂川デルタの南側にある橋ですね。
京都御所を抜けて、清明神社に行きます。そしてその後堀川沿いの遊歩道を通って御池通りを東に歩いて、最後は六角堂に至ります。前に一度歩いたルートですが、京都御所も清明神社も六角堂も、京都の街中にあるパワースポットだと(勝手に個人的に)思っています、、、ミソは全部入場料タダ、と言うところですね('◇')ゞ
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京都御所の北東部の入り口は石薬師御門です。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
中に入るとこんな感じ、、、↓ ↓ ↓ ↓ ↓
京都御所の地図です。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ちなみに京都御苑と書いてありますが、地元の人は単純に「御所」と呼んでいるのが普通です。御所の中を歩くだけでも十分な散歩になるし、多分発見も多いのだと思いますが、今回は先を急いで一番北側を東から西に抜けるだけにします('◇')ゞ
途中、ものすごく低く枝が垂れた松があります。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
まるで盆栽みたい、、、。盆栽では根本より下に伸びた枝のことを「懸崖」と呼ぶそうですが、まさにそんな感じ(さすがに根より下には伸びてませんが、、)
このルートは自転車で通る人も多いのですが、その後が一直線に伸びています。僕らも歩くとき砂利が邪魔なので、この自転車の轍の後を歩きます、、、自転車が来たらよけます('◇')ゞ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
北西側の出口は乾御門です。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
この乾御門を出てほぼ真西に清明神社はありますが、狭い道を何度か曲がりながら歩く事になります。
地図ではちょっと分かり難いかも知れませんが、清明神社は堀川通りに面している訳ではなくて、一つ西のに入った葭屋町通(よしやまち通り)にあるのですが、堀川通りには「清明神社一の鳥居」と言うのがあって、そこから入って行くことが出来ます。
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ところで安倍晴明って人気あるんですね、、、。この神社はいつ来ても人がひっ切りなしにお参りにやって来ます。恐らくアニメか漫画(あるいは小説?)の影響なのだと思いますが、、、。ただ、来てみると確かにパワースポット的な感じはします(^▽^)/
この奥にもう一つ鳥居があって、その先が清明神社の境内なのですが、、、二つ目の鳥居の横には「千利休屋敷跡」と言う石碑が立っています。
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清明神社自体、安倍晴明の屋敷跡に作られたという事なので、千利休は安倍晴明の屋敷跡=清明神社の境内に住んでいたということになりますね(;'∀')
二つ目の鳥居 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
二つ目の鳥居を中に入ると右手に清明井という井戸があり、そこの立て看板には千利休もここから湧き出した水を使ってお茶をたてたのだろう、と書かれています。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
この他にも境内には「御神木の楠」だとか「厄除けの桃」だとか「安倍晴明像」だとか、あるいは安倍晴明にまつわる言い伝えを書いた絵が飾ってあったりとかいろいろ有って、安倍晴明ファンならずともそれなりに楽しめる造りになっています。
先ほどの一の鳥居とニの通りの間の敷地には以前使われていた「一条戻り橋」が復元されています。一条戻り橋というのは安倍晴明ともゆかりが深いということですが、、、、、どのように深いのかは現在の一条戻り橋のところまで行って調べてみないと分かりません。
現在の一条戻り橋は堀川通りを渡って南に100m程行ったところにあります。
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一条戻り橋に関わる伝説は三つあって、その内二つは堀川通り沿いにある看板にも説明がされています。でも三番目の安倍晴明に関わる伝説はそちらの看板には記載がなく、橋の下の遊歩道沿いにあるもう一つの看板にしか書いてありません。ですので橋の下にある看板の写真を載せます。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
伝説では一条戻り橋は安倍晴明の父である保名が殺害された場所であり、清明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所と言うことだそうです。
さて、この後橋の下から堀川の水路沿いの遊歩道を歩いて行きます、、、が既にちょっと長くなりましたし、書いている私も非常に眠くなって来ましたので、続きは次回とさせて頂きます、、、。
ではでは。
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