2023年9月24日の続きです。
一条戻り橋のたもとからリスタートです。南を向くとこんな感じです。
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堀川通りは交通量も多い大通りですが、すぐ東側のこの遊歩道は、夏は水遊びをする子供で賑わってたりするものの、普段は人通りもまばらで、ゆったりとした散策に向いてます。この日もすれ違う人も非常に少なかったです、、、。
一条戻り橋の一つ南側の橋が、旧堀川第一橋(現在の中立売橋)です。
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この写真では分かり難いですが、現在の石造りの橋の奥に、昔京都に市電が走っていたころの橋の名残が残されています。
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幅が狭くて、本当にこんな狭い橋の上を市電が走っていたのかいな?と思うような代物ですが、これはコンクリート製なので後で複製したものでしょう。これとは別に堀川線が複線化された後の橋台もお濠の壁の部分にレンガとして残っています。
↓ ↓ ↓ ↓ はその辺の説明をしている看板です。
ちなみに一つ上の写真に後ろ姿が残っている三人組はレンガのところでわざわざ写真を撮っていたので、鉄ちゃんなのだと思います。私は鉄ちゃんではないですが、市電が走っていたころの京都については何となくロマンを感じます。
さて遊歩道は続きます。
この遊歩道に架かっている橋は以下のような感じ。一番北の元誓願寺通りまで含めたら13本。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
一番下流(南)の二条城の辺りに来ると、下記のような看板があります。
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この遊歩道沿いの石垣の内、西側のものは二条城の石垣だったんですね、、、でも、二条城建設に関わった各大名の紋が刻印されている、と言うのは私にはどれだか良く分かりません、、、('◇')ゞ、、、皆さんもし来ることが有ったら探して見て下さい。
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と言うことで遊歩道の終着点に来ました。
この後御池通りに出て東に戻り、烏丸通りを南下して六角堂まで歩きますが、ここは街中なので何も書くことはありません。六角堂は烏丸通りからはワンブロック東に入った場所にあるのですが、烏丸通りに面したスタバを通って行く事が出来ます。スタバの中は六角堂に向かって全面ガラス張りになっていて、席から六角堂の境内を眺めながらコーヒーを飲むことが出来ます。
↑ ↑ ↑ ↑ の写真はスタバのあるビルの2階から撮った写真。鏡になっている部分で、何となく雰囲気わかりますかね、、、ここのトイレは2階にあるのですが、ちょっとお借りしました('◇')ゞ、、、本当はスタバで一息つきたかったのですが、時間的制約もあり、そのまま1階におりて境内へ。
境内に入ってスタバ側を振り向くと、↑ のように沢山のお地蔵さんたちが並べられています。六角堂の境内にはこの他にもいろいろな地蔵があります。
六角堂の起源は何と聖徳太子(!)、、、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が京都に来て、水浴びをする間に仏像を木に立てかけておいたらそこから動かなくなり、その場所に六角堂を建てたという伝説があります、、、さすがに京都は奥が深い、、、。
六角堂に関わる人物でもう一人有名なのが、親鸞上人です。親鸞は比叡山を降りて、この六角堂に100日間籠ったそうです。そして95日目に夢に聖徳太子が現れ、そのお告げにより法然上人と出会った、と言う伝説です。夢のお告げは兎も角、親鸞がここに籠ったというのは恐らく史実なのだろうと思います。↓ はより有名な親鸞像ですね。「草鞋の御影」と「夢想之像」と呼ぶそうですが、木の御堂の中に保管されています。
やっぱ、京都は奥深いわ。
この他に六角堂十六羅漢像とかがあります。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
羅漢というのは仏の教えを守る優れたお坊さんの事であり、写真には写っていませんが、この周りに邪鬼の像があったりします。邪鬼というのは仏の教えに背いている人々の事を指すようです。
最後に少し変わったお地蔵さんにお参りします。↓ ↓ ↓ ↓ ↓
少し首を傾げているようなこのお地蔵さんは「一言願い地蔵」と言い、願い事を一つだけ叶えてくれるそうです。欲張って沢山願い事が頭に浮かびましたが、一つだけと言うことなので今回は家族(息子)」の事をお願いしました。
振り向くと、六角堂は本当にビルの谷間にあります、、、でも、本当にパワースポットと言う感じがします。しかも入場・見学タダ、、、ありがたいことです('◇')ゞ
この日の歩数はトータルで20,387歩。結構歩きました。
ではでは。
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