小下段からのチョイ突き

大上段に構えて書こうとしたら、ちっとも書けないので、ゆる~く書き始めました。

私の散歩道⑳の1~須磨編:須磨寺へ、、「あつもり」というのは、うどんのレシピ、任天堂のゲーム、テレ朝のニュース番組のスポーツコーナーだとか、色々とありますが、、、('◇')ゞ

2024年12月15日

 

この週末は京都へは帰らず、、、何故なら、下の息子がインフルエンザに罹ってしまい、狭いアパートでは私が帰ると密状態になってしまうので、、、(;´Д`)、、、と言うことで。久しぶりに週末を明石で過ごすことに、、、。下の息子は中間試験中なのですが、試験は受けれず、、、ただでさえ成績悪くて絶体絶命状態なのに、(;´Д`)(;´Д`)、どうなるんでしょうね、一体、、、、。

 

ブログのこのシリーズは歩いて目的地に行くことが基本なのですが、明石から須磨までは歩いて歩けないことは無いですが、かなり遠い。それに須磨に辿り着くことが目的では無かったので、取り敢えず須磨寺駅まで山陽電鉄に乗って移動、、、まあ、その辺りはヨシとします。須磨編なので、、スンマヘン、、('◇')ゞ('◇')ゞ('◇')ゞ('◇')ゞ

 

今回のルートは、山陽電鉄須磨寺駅~須磨寺~須磨離宮公園~須磨海岸~JR須磨駅

です。

 

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須磨寺の正門です。

 

仁王像があります。

 

境内の地図です。結構広いですね。

 

正門を入ってすぐ左側に「源平の庭」と言うのがあります。これは源平合戦で最も有名な場面の一つである一の谷の合戦で、平敦盛熊谷直実に討ち取られる場面をモチーフにしたものです。ちなみに織田信長が本能寺で死ぬ前に舞ったと言われる「敦盛」という舞いは、敦盛の首を取らざるを得なかった熊谷直実が後に世を儚んで出家する際の歌なんですね、、、。

そう、この須磨寺と言うのは、源平合戦で、源義経が陣地を構えたことで知られている場所なのです、、、、なので、本当に源平合戦にまつわる(と言われる)史跡があったりするのですが、一方、この源平の庭のように観光客向けに作られたモニュメントもあったりします、、で、更にこのお寺は真言宗なのですけれど、インドに研究に行ったお坊さんが法話をする会をしていたりとか、青葉殿と言う建物では読経会が営まれていたりとか、結構宗教活動も活発にやっている感じです。と、言うことで歴史と現在、世俗と宗教の混沌と交じり合った、一種独特な場所でしたね、、、('◇')ゞ

 

一の谷の合戦の際に弁慶が掲げたとされる「弁慶の鐘」、、これはレプリカらしいです。本物は宝物館の中にあるそうです、、、('◇')ゞ

 

義経腰掛の松」と「敦盛公首洗い池」、、、敦盛の首を前の池で洗い、後ろは義経が腰かけてその首実検をしたと言われる松の枝、と言われています、、、どの程度本当なのかはやや怪しい気もしますが、、、。

 

敦盛の首が弔われている「敦盛公墓所首塚)」、、、これは流石に本物だと思いますが、、、尚、敦盛の胴体の方は、須磨浦公園に祀られているそうです。

 

そしてここは紅葉の名所でもあるのです。

 

↓ ↓ ↓ の三重塔の横から山の上の奥の院まで登って行くことが出来ます。

 

塔の近くに五猿が居たりします、、頭をなでるとセンサーが働いて手が動く仕組みになっています、、とっても世俗チックです、、、('◇')ゞ

 

階段は結構キツイです、、運動不足を痛感、、、('◇')ゞ('◇')ゞ

 

奥の院まで登ったら眺めがいいかな、と思ったのですが、全く違いました('◇')ゞ、、なのですぐ降ります・

 

この奥の院への往復路には、十三仏七福神めぐりというのがあって、それぞれ祠に入った像が立っています、、、その前で真言を唱えてお参り下さい、、、と、、、これって世俗?宗教的?、、、どっちでしょうね、、、('◇')ゞ('◇')ゞ('◇')ゞ

 

紅葉を見るだけでも十分ですが、これだけ盛沢山で、拝観無料、、、というところは感無量、、(^▽^)/

と言うことでこの後は須磨離宮公園へ向かいます。

 

つづく。

 

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